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2017年06月28日
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いつだっていいじゃないの

2006年12月06日

優陽と神楽がふたりして名言占いをやっていたのが面白かったです、ありがとう(笑)。ところでおふたりさま、今更ですけどリンク貼っちゃってもよろしいでしょうか…?なんかせっかく名前出してくれてるので(笑)。

んで、優陽が書いてたことについてわたしも考えてみるよ。好きになる時期、とか。

わたしって、ものすごく優柔不断なんです。講義で座る席とか、お昼ごはんとか、お買い物とか。とにかく決めるのが遅くて、同じお店に何度も入ることが多いんですよ。で、そんな自分が嫌いで仕方なかったんだけど、それもまた悪くないんじゃないかなって、最近思うんです。

「決められない」ことって、「間口が広い」ことと似てる。最初から「これ!」と決めてしまうひとより、視野が広いとも言える。Jで還元すると、そういう部分でわたしは「J担」でいたりします。いつだってフットワークは軽くいたい。

インターネットで他のファンのひとの意見を見るようになったのは5,6年前で、それ以前における「ジャニーズ」とは、母とわたしのふたりだけで楽しむ、ひたすら閉鎖的な趣味でした。それがネットの世界に出るようになって、他のひとと交流するようになって、楽しいことや嬉しいことも増えたけれど、なんだか居心地の悪さを感じるようになったのも事実で。いわゆる「歴」というやつに縛られてしまう感覚に、です。ふたりだけでいたときには、そんなこと微塵も感じる必要などなかったのに。

それでもわたしは、小さい頃からJを刷り込まれて生きてきた人間だったので(笑)、あまり自分がそういうことを言われる立場には置かれませんでした。でも幸宏くんを知って、自分が直接「新しいファン」という位置付けになってはじめて、知ることがとても多くて。感情としてはマイナスなものが多いですが、それでもそういう感情を知ることができたのは有意義であったと思います。

対象が音楽や本などである場合、どのタイミングでその存在を知ったとしても、いつだってそれ自体は変わりません。普遍的なものです。もし後に好きでなくなったとしても、それは自分の意思や精神的なものによります。しかし対象が人間(←偶像だとしても)である場合、そうはいきません。同じ人間を好きでいても、同じものを見て好きになったわけではありません。そういう部分で、新旧だとかが無駄にうるさく言われてしまうのかなあと思います。Jという存在が特殊であるとも。ま、わたしはそれでも何故「新」が疎まれる理由があるのか分からないタイプの人間ですけど。

「もっと早く好きになりたかった」という思いは、どんな対象においても少なからず存在するとは思います。それでもわたしは、「今、好きでいること」より大切なものはないと思ってます。負け犬の遠吠えじゃなくてね。「好き」と思えること、とてつもなく大切だと思える存在ができること、それって本当に奇跡のような確率で。対:人間だと尚更そう思えて仕方ないんです。「知ることができた」という事実や、そのタイミングにおける相手の状態(ビジュアル含め(笑))などもそうですけど、自分の中の精神的タイミングが大きく関わっているように思えて。あのときああやってあなたを知ったからこそ、今、好きだと思える。そういう視点から考えれば、確かに「いつ好きになったのか」はとても興味深いことだよなあ。そうしたら、それで排他的になることなんて出来ないと思うんだけど。


「歴」だとかの話に関わらず、自分が触れて苦しくなってしまった情報は、手に入れるべきものではなかった、というだけですよ。普段の生活ではそうはいかないけれど(無知の知、ですね)、趣味なんてひたすら「自分が楽しむためのもの」なんですから。
振れ幅は大きく、「すき」を中心とした自分の芯はなくさずにいたいものだよなあ。

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